【タイトル】はじめてのおもてなし 独2016
【監督】ジーモン・ファーフーフェン
【出演】センタ・バーガー、ハイナー・ラウターバッハ、エリック・カボンゴ
【一言あらすじ】難民を家族に迎え入れる話。
気付けば、6月になってました。
これから梅雨入りして、梅雨が明けて、太陽が容赦なく照りつけて、暑い日が続くと思うと辛いです。今年の夏はクーラーのきいた部屋で映画をじゃんじゃん観たいですね。暑いし、値上げもされたし、映画館に足を運ぶのが減りそうです。元々、そんなに映画館で観るタイプじゃないんだけどね。
今日は「はじめてのおもてなし」という映画の感想を書きたいと思います。
だらだら文句を書いております
評価
★☆☆☆☆(★1.0):難民を受け入れたけど、意味あんの?
わたしは難民救済の是非を問うてる訳ではないです。映画に対して、「意味があるのか?」と聞いとります。
物語はドイツのある家族がアルジェリアからの難民を受け入れることで、家族の絆がどうのこうのって流れの映画です。
でも、正直、難民を受け入れたことによる映画的な恩恵は0な気がします。家族の問題が好転していく理由に難民受け入れは関係なく、映画全体に説得力がなく、父親、母親、息子、娘、孫、難民の青年、お隣さん、そのほか、登場人物全員に1mmも魅力を見出すことができなかったし、言動すべてに不愉快にさせる何かがあった。
もしかして、自分が知らないだけで、ドイツってこの映画みたいな雰囲気なのかな?と思った。もしそうなら、ドイツのこと嫌いになってまう勢い。
もう少しあらすじ
ミュンヘンの住宅街に一軒家を構える、病院の医長のリヒャルト(ハイナー・ラウターバッハ)と元教師のアンゲリカ(センタ・バーガー)の夫婦。長男(フロリアン・ダーヴィト・フィッツ)は妻に逃げられその息子は勉強そっちのけでラップとゲームに夢中で、長女(パリーナ・ロジンスキ)は31歳になっても大学生という状態だった。ある日、アンゲリカが難民を受け入れると宣言して、ディアロ(エリック・カボンゴ)というナイジェリアから来た青年を連れてくるが……。(シネマトゥデイ)
正直、あらすじを自分で書くのも億劫になるぐらい自分に合わない映画だった。
観ていて、不愉快になる描写が多いんだよね。ドイツの文化に限らず、世の中にありふれているであろう物事が映画内に散りばめられているんだろうけど、それがボクには合わなかった。
夫の私物を勝手に処分する妻、しつこく現役に拘る腕の落ちた医者(夫)、年をとっているせいか冷静に物事に関して議論できない老害夫婦、ストーカー被害に合ってるのに解決策を講じない娘、娘に付き纏うキチガイストーカー、キチガイ宗教家の隣人、ちょいちょいカットが入ってくるテロ対策警察的なポジションの無能集団、キチガイ難民救済慈善活動家の存在
多分、書き切ったと思うけど、上記に書いたのが不愉快ポイント。
結局のところ難民問題をどう捉えてほしいの?
この映画はわざわざ「難民を受け入れる」家族を主人公にしているぐらいだから難民問題に対して何かしらのアプローチをかけているんだろうけど、観ている側は難民問題に対してどう受け止めればいいのか分からない。僕が日本人だからだろうか。
なんとなく、難民を家族に迎え入れたことで、家族の中にあった確執が解きほぐされて、あたりまえの家族の形に戻っていきました。みたいなエンディングを示したけど、それは別に難民を受け入れたから起こった出来事ではなくて、ただなんとなく起こった出来事にしか見えないんだよね。
ディアロは確かに映画内に存在しているし、家族とも絡んでいくけど、ただそれだけで、何かを引き起こしたという説得力があるわけでもなく、別にディアロがいなくても成立するし、ディアロの1番の個性である「難民」であることは別に異文化の人間であればそれでいいし、辛い過去があるディアロに過去の話をさせることで「難民問題」を投げかけてるけど、投げかけているだけで、映画内で僕らに考える余地を与えていない。
映画を観終わったあとに、「ドイツには難民が大勢いて、大変な状況なんだな」と思おうと思えば考えるけど、そこまでの力はこの映画にはない。
コメディ寄りに製作されていて、コメディにすることで得られるポップさはあるけど、提示するメッセージも薄っぺらい軽いものになっている。
鑑賞:2019.05.31