【タイトル】万引き家族 日2018
【監督】是枝裕和
【一言あらすじ】変わった絆で結ばれた家族の話
こんにちは。
今回は『万引き家族』を観ました。
記事タイトルがありきたりのありきたりでダメっすね(笑)
有名な映画なので、説明は不要だと思いますが、記事の文字数の水増しのために少しだけ説明させてください。
この作品は日本映画として21年ぶりにカンヌ国際映画祭で最高賞(パルム・ドール)を獲得したり、他にも受賞こそは逃しましたが、アカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされ話題になりましたね。
ちなみにWikipediaに詳しく書いてありますので、気になる方はそちらへ。笑
評価
★★★☆☆(★3.0):面白い面白くないとかではないんだろうな。
映画自体は薄味で別にエンタメしている訳でもない。社会問題な家族をメインに据えて、登場人物全員に雰囲気を持たせて、それぞれが抱える問題にクローズアップしていくけど、映画の尺的にはこのへんで切り上げなきゃなという終わり方をする。良い言い方をすれば、登場人物の生活はこれからも続いていくし、そういうニュアンスで映画を終わらせればいいんじゃね。とも思えるし、悪く言えば中途半端に色々と風呂敷を広げたけど、主軸の事件は解決したからこのへんで終わっても良いよねテヘペロ的な終わり方とも言える。
個人的には好きではない映画の構成。何一つ解決していないところにモヤモヤが残る。まぁ、この映画に関して言えば、「社会問題ってそういうことだよね」で解決しちゃうところがあるんだけどね。
個人的にリリー・フランキーが役者として好きではないが、安藤サクラのスクリーン(鑑賞はTV)での画の強さが好きで、意外に松岡茉優がしっかり映画役者になってて、この女優2人を観るだけでも映画として価値がある気もするぐらい良かった。
こういう裕福ではない人物を主人公にした映画での、好きなポイントとしては濡れ場にあると思ってて(もちろんそれだけではないが)、安藤サクラとリリー・フランキーのそういうシーンは安藤サクラさすがだな。と思った。
松岡茉優も下着姿まで披露しており、その見せ方(シーン)は役柄の裏を表現するには分かりやすい手法でよかった。
あらすじ
治(リリー・フランキー)と息子の祥太(白桧吏)はスーパーで万引きをし、家に帰る途中、寒空の下で一人ぼっちのゆりと名乗る女の子を見つけて連れて帰る。家に帰ると妻の信代(安藤サクラ)は驚き、家に帰そうとするが、女の子の家からは大声で怒るような声がしており、ゆりの体が傷だらけなのこともあり、自分で世話をすることを決心する。一家は信代の妹の亜紀(松岡茉優)と祖母の初枝(樹木希林)、そして新たにゆりを含めて6人家族となるが、彼らには変わった絆があった。
なんか登場人物が多くて、あらすじ書くのが大変だった。どうも要約するのが苦手なんだよね。短くまとめること、分かりやすいこと、観たくなるような書き方であること、などなど、こくごの能力がないのが悲しい。
んで、物語は万引きするシーン、続いて女の子を誘拐するという、犯罪行為2連弾で始まります。この時点でリリー・フランキーが普通の人間ではないことが分かるし、家に帰ってからも底辺ぶりが伝わる作りになっていて、要所要所に社会問題的な雰囲気が漂っています。
家族として、いびつな形の絆が横たわっており、観ている側は違和感を覚えながらストーリーが展開していきます。
でも、深くは掘り下げることはなく、家族それぞれの思いを少しだけなぞっていって、それぞれの心に起きた変化を少しだけ映していって、最終的に個人の問題に関しては解決しない。という上記でも言ったけど、中途半端な印象でした。
ネタバレ多めになります
それぞれにある問題
家族が6人構成、それぞれに問題を抱え込ませています。
この「問題」というのは自分が起こした問題でもあるし、巻き込まれた問題でもあるね。
治と信代
この2人は夫婦なのですが、いささか年が離れています。そして祥太は自分たちの子供ではありませんでした。この男の子も誘拐をしており、治の本名である勝太をもじって祥太と名付けました。過去に殺人を犯しています。
祥太
小さいころに治と信代に誘拐されて、学校教育を受けておらず、治とバディを組んで、万引きをしています。
亜紀
別に本当の家族がいますが、本当の家族からは忘れられた存在のように扱われています。理由ははっきりとしません。風俗で働いており、源氏名は妹のなまえである「さやか」。
初枝
治と信代とは血縁関係にはありませんが、祖母としてこの家族の一員です。亜紀の本当の祖母であります。
ゆり=じゅり=りん
誘拐された女の子。本当の両親から児童虐待を受けており、家族とはなんなのか?というのを1番伝えてくれるキーパーソン。誘拐されてから、りんは虐待を受けずに済み、偽物の家族ではあるが、お金はないかもしれないが、幸せな数か月を過ごすことになる。
それぞれに問題があるのですが、どれもこれも根本的な解決には至っていません。特にラストのシーンに、じゅりが本当の家族の元に戻ったところを持ってきたということは監督が1番問題提起したかったのは児童虐待と本当の家族とは?ということなんでしょうね。
一貫して、映画の主軸に「本当の家族とは?」的なことを据えていると思うんだけども。映画内で理解するのことはできなかった。是枝監督も理解させようと思ってないだろうし、本人も理解しているか分からないし、そもそも人それぞれで解釈は変わってくるだろうし。