ぎぶそんの日記

メインは映画の感想記事。たまに日常のことをちょこちょこと。

PARKS パークス ~橋本愛を愛でる映画...なのかな?~

【タイトル】PARKS パークス

【監督】瀬田なつき

【出演】橋本愛永野芽郁染谷将太

【一言あらすじ】過去と現在を繋げ!時をこえるラブソング。

 

 

 

橋本愛染谷将太が出演しているって、なんて俺得な映画なんだ!ってテンション上がって観始めました。やっぱり、この2人ってなんか好きなんですよね。なんででしょうね?

 

この映画の製作背景が少し特殊(?)なので、少しだけ説明しておきます。

 

吉祥寺を舞台とした青春映画。吉祥寺の映画館『吉祥寺バウスシアター』の閉館にあたり、オーナーの発案で井の頭公園100周年記念として製作された

(Wikipediaより)

 

 だそうで、なかなか変わってるな。という印象でした。

 

 

 

ãPARKS ãã¼ã¯ã¹ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

 

 

以下、感想・軽いネタバレ

 

 

評価

★☆☆☆☆(★1.0):軸となるプロットは良かった!

 

意味不明なものが多すぎます。この映画最終的にはSFちっくというか、スピリチュアル感というか、ファンタジー感を出してくるんですけど、そういう意味不明ではなく

なんというか、こういう人間がそばにいると気持ち悪い、嫌悪感、不愉快、空気読めない、みたいな生々しい気持ち悪さを含んだ意味不明さが映画内にあります。

言葉悪いですが、メインの3人はキチガイ感のある不愉快さを持っています。

詳しくは後述します。

 

 

 

もう少しあらすじ

吉祥寺に住む大学生・純のもとに亡き父の昔の恋人を探しているという高校生・ハルが訪ねてくる。2人はその恋人だった佐知子という女性の住んでいた場所にたどり着くが、佐知子もすでに亡くなっており、佐知子の孫というトキオという青年と出会う。佐知子が残していたハルの父親が作ったラブソングをもとに、3人はこの歌の続きを作ろうと奮闘。音楽を通して現代と1960年代の吉祥寺の街や井之頭ノ園の物語が繰り広げられる。(Wikipediaより)

 

 

 純:橋本愛(本作の主人公)

ハル:永野芽郁(父親が残した手紙を手掛かりに父親の恋人だった佐知子を探す)

トキオ:染谷将太(佐知子の孫、ハルの父親と佐和子らが作った曲のテープを見つける)

 

 

このあらすじを読むとワクワクするんですよね。まず、「時を越える」という要素。そして、「現代人が過去の続きを想像して創造する」という要素。この2つはSF好きな自分にとってはニヤニヤしちゃう設定なんですよね。しかもそれが自分の好きな恋愛モノで、しかも創造するものがラブソング、ってのが完璧だと思うんですよ。ありきたりではあるけど、かなり良いプロットだと思うんすよね。まぁ、僕の好みが出すぎてますけどね(笑)

ただ、メインの3人の人物設定、そして取り巻く環境が気持ち悪いものだった。

 

 

 

※この先、酷評が強まり、ネタバレが加速します。

 

 

 

気持ち悪い...とは?

・純は留年しそうになっており、教授に頼み込むと救済措置を取ってもらえる流れになる

・救済措置である卒論の題材になるかもしれないという理由でハルに付き合う

・いきなり押しかけてきたハルに付き合うのは良いとして、高校生のハルを家に泊める

・久々に弾くのにカポを付けっぱなし、チューニングが合っているギター

・50年前のアパートと外観が変わらな過ぎる、内装が綺麗すぎる

・ハルの亡き父親の恋人であった佐知子さんの家にたどり着いて窓から執拗に覗き込む

・そして佐知子の孫のトキオに声を掛けられ、ハルの「鍵が開いてなくて」という発言

・トキオの急なツイート内容表示という意味不明な演出

・ハルの父親と佐知子の年齢とズレがあるハルとトキオの違和感

・50年前の曲の続きを書くにあたってラップやEDMっぽくしたりする感覚/センスのなさ

・いきなりの地元の音楽フェスへの出演からの、その後のくだり、ライブの演出

・そして急なスピリチュアルSF要素の入れてきて

・それを利用して、着地してないけど着地したことにしたエンディング

・個人的な理由での園内放送

・公園全体が歌い出す、踊りだす、結局のラップ

・この体験を通して、何一つ成長していない純。というか卒論書けよ。

・この映画を通して、何一つ得れなかった自分。

 

 

と、思いつく限り気持ち悪いと感じた要素を書きだしました。もう少し書けなくはないけど、とりあえずこのぐらいにしておきます。

 

 

 

まとめ

前回の映画記事の中でも書いたのですが、最近「説得力」という言葉にハマっています。作りものの中には説得力が必要なんです。ワンピースやデスノートってあり得ない話ではありますが、作品の中で、手が伸びる理由であったり、ノートに名前を書くと人が死ぬ理由に対して説得力があります。あり得ないことなのに、設定(説得力)によって物語として成立させているんです。

ただ、この映画に関しては、ハルが父親の恋人を探す理由がありません。ただ、探しているだけ。もちろん小説を書くという理由がありますが、それは説得力にはならない。ましてや、人を巻き込むほどのことではない。そして、純側にもハルに付き合うことにする理由がないんです。そんな中2人で協力して物語を進めようにも説得力が皆無なんです。

映画の導入である、純の背景とハルの背景が全く見えないから観客は没入できずに、置いてけぼりにされます。

そして、中盤から終盤にかけて過去の話の掘り下げ、現代と過去の交錯、ハルの目線による物語の展開、全てに疑問がついてまわります。

一種の夢オチのようなエンディングを迎えることになります。

 

 

 

と、ここまで酷評したのでこのへんで終わります。

 

 

 

 


映画「PARKS パークス」予告

 

 

鑑賞:2018.09.08