ぎぶそんぶろぐ。

映画の感想とか、日常とか。

無題

そりゃ、まぁ生きていれば失敗はする。それは仕方がない。

失敗をしてしまったときは、落ち着いてリカバーをすればいい。

でも、時折、リカバーができないこともある。そういう失敗も存在する。

もしくは、解決策が目に見えているのに、解決策が目の前にあるのに、それに手を伸ばすのに躊躇してしまい、ずるずると引きずり、気付いた時には時すでに遅し。ということもある。

もしかしたら数年後に笑い話になる可能性もある。

もっと言うと、失敗が実は失敗じゃなかったってことも有り得たりする。

 

僕は失敗をしてしまった。恐らく、この失敗/後悔は生涯消えることはないだろう。その類の失敗をしてしまった。大げさかもしれないが現時点ではそう思うのだ。しかも、解決法/リカバーの方法は分かっていたのだ。それなのに失敗をしてしまった。失敗というより失態なのかもしれない。どっちでもいいや。どっちにしても嫌な事だ。

では、何故、解決法が分かっていたのに、解決しなかったのか。それは僕がひよったからだ。腰抜け。臆病者。役立たず。

少しハードルの高い解決法だったのだ、そのときはとてつもなく高く見えた。けど、今思い返すととてつもなく低いものだった。なんてことをしてしまったのだ。

僕は自分のことを最強だと思ってる節がある。最強というよりは、自分が1番大事だと思っている。僕は僕のことを1番に考えている。こう言うとナルシストのように思われても仕方がないのだが、これは僕が楽しく生きていくためには必要な事だと思っている。それなのに、あの時期の僕は僕ではなかったのだ。なんでだろう。あんな腑抜けになってしまったのは何故だろう。

多分、夏のせいだ。僕にとって、あの夏は素晴らしいものだった。だから感覚が麻痺したのだ。それが失態の原因なのだろう。

頭の中で「なんで」が鳴り響く。これでもかと鳴り響く。むしろ殴りかかってくる。ずっと問いかける。「なんで」。そして、過去の自分を呪いたくなる。いや、そんなんじゃ甘いな。

さらに、周りが僕を苦しめる。なんで彼奴が。なんで彼奴が。なんで彼奴が。くそ。

 

戒めだ。これは戒めだ。行き場のない怒り悲しみ憎しみ。多分、僕のおかれている環境がガラリと変わらないと解決しない。それでも解決しない。その感情をどんなに薄めても、希釈しても、そこにあったのだ。そして、そこにあるのだ。

 

ずっと、心のどこかに、あるのだ。後悔とはそういうものなのだ。

 

2014年は鬼気迫る感じだった。それなのに、なんだこの様は。

 

牡蠣なんか食べてる場合じゃないだろ。

後輩の送別会なんてしてる場合じゃないし、ゲームに感けてる場合でもない。

幾度となく機会はあったし、あんなに長い期間、猶予はあったのだ。解決策は無数...とまでは言わないがいくつもあったのだ。頑張りが足りなかったのだ。僕は自分に失望した。

 

熱が冷めてしまったのだろうか。

満足してしまったのだろうか。

興が削がれてしまったのだろうか。

魅力を失ってしまったのだろうか。

それとも嘘なのだろうか。

案外、気にしてないのだろうか。

人生経験を積むと変わるだろうか。

 

そんなに悩まなくてもいいのだろうか。

 

他に悩むべき物事があるのだろうか。

 

僕はどうなりたいのだ。

僕はどうしたらよいのか。

僕はこれからどうなるのだろうか。

 

 

それでも僕は覚えておこう。

忘れて、気にせず、覚えておこう。

 

僕は失敗を取り戻すことは基本的にできないと考えている。

リカバーはあくまで修正するのだけであって、なにか修正しなければならなかった事実があったということは消えないのだ。

 

そういうものなのだ。ただ、次の機会に生かすことはできる。

過去の過ちは消えないが、消せないが、残るが、それでも、生かすことはできる。

 

 

 

僕はこれからどこに行くのだろうか。

僕はどこに行けばいいのだろうか。

僕はどこかに行かなければならないのだろうか。

僕は

 

 

 

僕は僕をやめることはできない。